サヘルローズが結婚しないのは母のため?生い立ちが壮絶で泣ける!

人物

サヘル・ローズさんはイラン出身で女優として活躍するほか、タレントやコメンテーターとしても時々テレビで見かけます。

そんなサヘル・ローズさんは2022年2月現在で年齢は36歳。

かわいいとも言われていて、結婚についても気になるところですが、最近(2022年1月)出版した著書では「結婚しない」と綴っており、それは育ててくれた母のためであるようです。

そして、サヘル・ローズさんの生い立ちはとても壮絶で言葉では表せられないようなもののようです。

ここでは

  • サヘルローズが結婚しないのは母のためなのか
  • サヘルローズの壮絶な追いたちとは

についてみていきたいと思います。

サヘルローズが結婚しないのは母のため?

サヘル・ローズさんが結婚しないのは、母であるフローラさんのために恩返ししたいという想いがあるからのようです。

サヘル・ローズさんの母親はフローラ・ジャスミンさんといい、養母で実の母親ではありません。

サヘル・ローズさんの名前を考えたのもフローラさんで、「砂漠に咲く薔薇」という意味があります。

薔薇が好きなフローラさんが「薔薇は砂漠にしか咲かないはずだが、自らの力で困難に立ち向かう力強さを持ってほしい」という想いでが込められています。

(母:フローラさん)

フローラさんの実家は身分の高い家柄で、サヘル・ローズさんを養子に迎えることに対して反対されます。

反対されてもフローラさんはサヘル・ローズさんを養子に迎えますが、実家からは経済的支援を断ち切られてしまいました。

困ったフローラさんは、日本に留学していた婚約者のイラン人の男性に相談し、来日を勧められ、サヘルさんを連れて来日することになります。

ですが、その呼び寄せたフローラさんの婚約者から、サヘルさんは虐待を受け母子揃って家を飛び出します。

その後もサヘルさんは学校でもいじめに遭うなどしますが、フローラさんはサヘルさんにずっと寄り添い、周りの方の援助もあり生活を支えてくれていました。

サヘルさんは、自分を支えるためにフローラさんの瘦せこけた姿を見たときに「自分のためにすべてを捨ててきた母がこんなにも年老い、自分は母に何も恩返しができていない。お母さんを幸せにするために生きたい」と思うようになったといいます。

生きる希望をなくしていたサヘル・ローズさんですが、そんな思いに希望を取り戻し、高校・大学・専門学校へと進み、タレント・女優として頑張っていくことになります。

サヘル・ローズさんも30歳を過ぎると「結婚しないの?」「そろそろ子どもは?」と聞かれることが増えましたが、「私は今のままで幸せ。まじめなのも、繊細なのも、結婚しないのも、これが私の生き方。だから安心して」と話しています。

母であるフローラさんから受けた無償の愛に恩返しをしたいというのと、やりたいことがあれば家庭におさまらなくてもいい、子供が欲しければ養子を考えてもいいとサヘルさんは思っています。

結婚しないで母のために生きて恩返しをすること、それが自分の姿と思っているようですね。

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サヘルローズの生い立ちが壮絶で泣ける!

サヘル・ローズさんの生い立ちはそれはそれはとても壮絶です。

養子となりイランから日本へ

サヘル・ローズさんは1985年10月21日(本来のものではなく、母のフローラさんによる)に、イランの14人の大家族の末っ子として生まれます。

1989年の2月下旬に、イラン・イラク戦争による空爆で町は壊滅し、家族と生き別れてしまいます。

その町へ救護隊ボランティアとして来ていた後に養母となるフローラ・ジャスミンさんに救い出されて孤児院で暮らすこととなりました。

空爆被害に遭ったことにより、本来の出生年、出生名がわからなくなり、フローラさんが考えた出生年と名前を使うことになります。

先ほど述べたましたが、サヘル・ローズさんの名前はフローラさんが付けています。

その後、フローラさんに養子として引き取られ、フローラさんの婚約者を頼ってサヘルさんが8歳の時に来日しました。

ところがフローラさんの婚約者から虐待を受け、母と共に家を飛び出しホームレス生活を2週間ほど送ります。

ずっと同じ服を着ているサヘルさんに気付き、学校の調理員の方が生活を救ってくれることになります。

自分の家にサヘルさんを住まわせてくれ、ご飯も食べさせてくれました。

また、母の仕事の世話やアパートの保証人にもなってくれ、弁護士を雇って観光ビザから日本に住めるビザの申請までやってくれています。

なかなかここまで他人にやってあげられる人もいないと思いますし、本当にサヘルさんやフローラさんにとって人生の恩人ですね。

その“給食のおばちゃん”とは今でも交流があるそうです。

いじめられた学生時代

小学校6年生の時に埼玉県から東京に引っ越しますが、周りと馴染めずいじめに遭います。

中東の悪いニュースが報道されたり、学校に外国籍の人がいなかったことなどから、いじめの標的となっています。

いじめは最初は笑って済ませられるものだったのが、次第にエスカレートして辛いものとなっていくのでした。

ですが、母のフローラさんを心配させたくなくて、帰宅途中は泣いて家につくと明るい自分を演じていました。

そんな自分に限界がきて耐えられなくなり、フローラさんに「疲れた。生きていたくない」と告げると、フローラさんも「私も」と言い「いいよ。サヘルのやりたいようにやって。自分も生きる意味がなくなるから、ついていくね」と言ったそうです。

そんなフローラさんが痩せこけて手がしわしわゴワゴワになっていて、自分のためにすべてを捨てて生きてきた母が年老いていることにサヘルさんは気付きます。

そのことで、逆に生きていなきゃ、「お母さんにちゃんとしたご飯を食べさせたい。お母さんを幸せにしたい」と思い、生きる目標となるのです。

誰かのために生きたいと思えた瞬間だったといいます。

中学時代は本当に辛かったようですが、生きる目標が出来て見返したいという想いから、何とか乗り切りました。

(左:サヘルさん、右:フローラさん)

サヘル・ローズさんは、これまでの人生の要所要所で母のフローラさんをはじめ、血の繋がっていない方からの救いの手に救われて、ここまで生きてこられました。

だからこそ、人と人との繋がり、支え合いの大切さを身に染みて感じているようです。

そして自分の経験から、養護施設の子供を支援したり、難民キャンプや学校に行けない子の支援をして、自分に出来ることを少しずつやっています。

辛い経験をしたからこそ、人の痛みがわかり、寄り添うことが出来るんですね。

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まとめ

サヘルローズさんが結婚をしないのは母のためというのと、生い立ちの壮絶さについてみてきましたが、いかがでしたでしたでしょうか。

 

戦争は人の人生を狂わすような出来事で、戦争がなければ実家族と離れることはなかったと思いますが、かえって辛い経験をしたからこそ今のサヘル・ローズさんがいて、人の痛みがわかり寄り添うことが出来ているのだと思います。

本人でなければわからない辛さだったと思いまうすが、支えたいてくれた母のフローラさんがいたからこそ、ここまで望みを捨てずにやってこれたのでしょうね。

フローラさんのために生きたいと思うのもよくわかりますね。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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