「エレキの神様」と呼ばれた、寺内タケシさんが肺炎で亡くなられました。
寺内タケシさんは日本のエレキギターの第一人者として活躍されていました。
その寺内タケシさんの奥さんや息子や娘さんはどんな人なんでしょうか?
また、どんな活動をされていたのか、みていきたいと思います。
寺内タケシの奥さんや息子や娘は?
寺内タケシさんには奥さんと息子さんはいますが、娘さんはいないようです。
【速報 JUST IN 】ギタリスト寺内タケシさん死去 エレキの神様の愛称で人気に #nhk_news https://t.co/C2RtbWDqYK
— NHKニュース (@nhk_news) June 19, 2021
奥さん
奥さんは一般の方で「寺内由利子」さんといいます。
奥さんに関しては他に情報がなかったのですが、2019年のライブには奥さんも聴きにいかれたそうです。
奥さんの年齢は、息子さんが58歳(2021年6月現在)ということもあり、寺内タケシさん(享年82歳)とほぼ同年代と思われます。
息子
息子さんは「寺島章」さんです。
1963年4月6日生まれで58歳です。(2021年6月現在)
日本大学法学部卒業後、音楽活動や俳優活動もしています。
1999年に「寺内タケシ&ブルージーンズ」に加入しバンドシンガーとして活躍します。
2002年2月18日に寺内章さんは覚醒剤取締法違反(使用)で逮捕され、5月に懲役1年6月、執行猶予4年の有罪判決。2006年に猶予満了となりました。
「父親の存在が重圧になって逃れたかった」と章さんは話していたそうです。
章さんは、2019年より再びバンドシンガーとしてブルージーンズに復帰します。
画像:bluejeansホームページより
娘
娘さんに関しては、いろいろ探してみましたが情報がないので、いらっしゃらないのかもしれません。
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寺内タケシエレキの神様の活動は?
エレキブームで寺内タケシさんの名が広まり、不良の音楽とされていたエレキギターを世間に認められる活動をして、年配の方から若者にまで「エレキの神様」と知られる存在でした。
全国の高校を自費で回る『ハイスクールコンサート』の活動を長年されていました。
幼少期
寺内タケシさんは昭和14年(1939年)茨城県生まれです。
5歳の時(戦争中)にエレキギターを手作りしているんです!
もともとお兄さんがギターを弾いていてすごく興味を持っていましたが、触らせてもらえませんでした。
お兄さんが徴兵に行ったため、お兄さんのギターを独占できるようになって、5歳の時から小唄の家元であった母の三味線をお手本にギターを練習しています。
母親にギターを教えてといいますが、5歳の柔らかい手に三味線の絹糸は痛くてぐしゃぐしゃになったそうで、痛いと泣くとクジラの物差しで叩かれたといいます。
母親に「泣くほど辛ければやめろ」と言われましたが、寺内タケシさんはやりたいので「お願いします」と言ったら、ぐしゃぐしゃの指を塩の壺に付けられるという、なんとも拷問というかスパルタなお母さんだったんですね。
でも、それでも好きだからギターをやりたくて続けたんですね。
まさしく血の滲むような練習をして、ギターはボリュームの大きさが大事だと気付きます。
学生時代
高校の頃、バンドを結成。
入学直後にマンドリンクラブを創設し、そちらでも技術を発揮しNHK全国楽器コンテストで3連覇を成し遂げます。
マンドリンで明治大学に進学するも、家業を継がせたい父親に1週間で退学させられ、関東学院大学工学部電気化へ入学し直します。
ホンシュウ・カウボーイというバンドに加入。
ブルージーンズ結成
1962年ブルージーンズ結成。
1965年、ザ・ベンチャーズとアストロノウツが来日、ブルージーンズ、スパイダーズの4バンドで対バンを行いました。
これがきっかけとなり、“エレキブーム”に火が付き、寺内タケシさんの名が広まることになります。
海外にも名が知れ渡るようになり、世界三大ギタリストにも選ばれます。
ブルージーンズ再結成
一時期、寺内タケシとバニーズを結成し、グループサウンズのブームに乗ります。
グループサウンズの衰退とともに、寺内タケシさんはバニーズを脱退します。
同時にブルージーンズが復活。
エレキは不良の音楽という風潮でしたが、寺内タケシさんが高校を訪ね演奏したりして、エレキギターが世間から認められるようになります。
そして「ハイスクールコンサート」などの活動を本格的にはじめます。
自費で全国の高校に演奏に行き、この活動は1974年~2017年まで続きます。
2010年には1500行に達していますので、すごいことですよね!
つい最近まで全国を回っていたというので、寺内タケシさんを若い子も知っているのでしょう。
ハイスクールコンサートへの声
寺内タケシさんお亡くなりになったのか…。
ハイスクールコンサートでうちの高校に来てくれた時、ステージの上に上がらせてもらって友達とエレキに合わせて踊ったんだ😆今思い出すと死ぬほど恥ずかしいけど楽しかったなぁ~!
素敵な思い出をありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。— ☔イナ子☔ (@inatoan) June 19, 2021
寺内タケシ、「エレキギター=不良」のイメージを払拭するべく全国の高校で演奏会をやるハイスクールコンサートの活動を何十年と続けてて、自分も在学中に学校行事で寺内タケシとブルージーンズを観にいったんだよね。
長い間ほんとにお疲れ様でした— KUNIYA (@out_messiah_) June 19, 2021
高校時代の芸術鑑賞、まさにハイスクールコンサートで寺内タケシさんのエレキを聴きました。いや~衝撃的でした!
特にエレキで弾いた「運命」や「津軽じょんから節」が印象に残っていて今も好きです。
我が母校に来てくれたこと、感謝しています。ご冥福をお祈りいたします。 https://t.co/btOQCVCvgN— SeijiNarita無限列車🚂乗車済 (@SeijiNarita1) June 19, 2021
学校まで寺内タケシさんが来てくれたことを、皆さん鮮明に覚えているんですね。
頭が下がるような活動を長年されてきて、高校生たちに残したものは本当に大きかったと思います。
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まとめ
寺内タケシさんのご家族や、エレキギターの活動についてみてきましたが、いかがでしたでしょうか。
エレキギターが本当に好きで、ずっと音楽に携わり続けた寺内タケシさん。
寺内さんの功績はずっと語り継がれることと思います。
寺内タケシさんのご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。