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人物

小平奈緒の父や母などの家族は?姉もスケート選手?

北京オリンピック(2022年2月)では4回目の出場となるスピードスケートの小平奈緒選手。

今や日本を代表するトップスケーターです。

そんな小平奈緒選手のお父さんやお母さんがどんな人なのか、気になりませんか。

また、小平奈緒選手にはお姉さんがいると言われています。

お父さんやお母さんはもちろん、みんなスケート選手なのでしょうか?

小平奈緒選手の家族について調べてみました。

 

ここでは、

・小平奈緒の父や母などの家族は?

・小平奈緒の姉もスケート選手?

についてみていきたいと思います。

小平奈緒の父や母などの家族は?

小平奈緒選手のお父さんとお母さんについてまとめました。

  • 父:小平康彦さん
  • 母:小平光子さん

画像:朝日新聞(左)小平康彦(右)小平光子

父は小平康彦

小平奈緒選手のお父さんは、「小平康彦さん」です。

画像:KODAMA国際教育財団(小平康彦)

平昌オリンピック(2018年)のときに62歳と報道されていましたので、2022年1月時点では65〜66歳ではないかと思われます。

金メダリストである小平奈緒選手のお父さんです!

小平康彦さんもスピードスケートの選手だったと思われがちです。

しかし、小平康彦さんはスピードスケートに関してはまったく無知でした。

小平奈緒選手はお父さんについて、このように話しています。

父親があまりスケートのことを知らない人でしたから、子供の頃から私と同じ目線で、どうしたら速く滑れるかを一緒に考えてくれて、速い選手を見てどう思うか、次の練習で何を意識してやるか、お互いよく話をしていました。

引用:日本オリンピアズ協会

 

最初の指導者となった安彦さんは競技経験がなかった。
2人で実業団の選手の映像や試合を見ながら「足の動きはこうしてるね」と会話を交わし、答えを探した。
練習内容も自分で考えさせた。

「同じことでも人から教えてもらうより、自分で発見した方が身に付く。この時に自分で考えて滑る基本ができた気がします」と振り返る。

引用:スポーツ報知

 

意外にも小平康彦さんはスケートは素人だったようです。

それでも、小平奈緒選手といっしょにスケートについて勉強し、熱心に指導したことが分かります。

子ども想いでもあり、研究熱心で真面目なお父さんですよね。

小平奈緒選手の練習には、仕事から帰ってきたお父さんが送迎していたようです。

 

小学校の卒業文集で「五輪選手になる」と書いた小平奈緒選手。

安彦さんは「『なりたい』ではなく『なる』。もう親と一緒にいる時期ではない」と指導者を探し、競技一色の生活へと娘を後押しした。

引用:中日新聞

 

小平康彦さんと小平奈緒選手とのマンツーマンの指導は、小学校まででした。

小平康彦さんはスケートの指導をすることはなくなりましたが、毎週、小平奈緒選手といっしょに南アルプスや八ケ岳を登っていました。

画像:中日新聞(左)康彦(右)奈緒

小学校に入学する前から中学校を卒業するまで、親子で登山を楽しんでいたようです。

ママさん
ママさん
小平奈緒選手のいしずえをきずいたのは、お父さんですね。

母は小平光子

小平奈緒選手のお母さんは、「小平光子さん」です。

画像:KODAMA国際教育財団(小平光子)

小平光子さんはお父さんと同じ年ですので、2022年1月時点では65〜66歳ではないかと思われます。

小平光子さんの出身は愛知県です。

小平奈緒選手の負けず嫌いな性格はお母さん譲りだそうで、小平奈緒選手のことをこのように話していました。

「不器用なんですが、興味を持ったら納得いくまでやる。
オムレツ好きになったら毎日オムレツ。竹馬も一輪車もできるまで一生懸命。そういうコです」

引用:エンタメweek

 

目標にむかってひたむきになる姿は小さい頃から変わっていないようです。

お母さんの小平光子さんは、小平奈緒選手の戦績にはとくにこだわっていません。

「スケートを楽しむことが一番」だと思いながら、小平奈緒選手を応援しているそうです。

 

お母さんについて小平奈緒選手はこのように話しています。

ママさん
ママさん
いつもやさしく見守ってくれたことが分かりますね。

小平奈緒選手は小さい頃、コンビニのおにぎりを食べたことがありませんでした。

それまではずっと、お母さんが握ってくれていたおにぎりを食べていました。

初めてコンビニのおにぎりを見たとき、どうしてよいか分からず食べることができなかったようです。

お母さんの愛情がこもった手作りのおにぎりが大好きだったのでしょうね。

 

小平奈緒選手の実家があるのは長野県茅野市(ちのし)です。

小平奈緒選手は時間を見つけて、長野県に帰省しています。

また、平昌オリンピック(2018年)で金メダルを獲得した時、小平奈緒選手は「家族に感謝したい」と笑って話していました。

画像:中日新聞(左)康彦(右)光子

お父さんもお母さんも現地まで応援にかけつけるほど、今でも家族はとても仲がよいのでしょうね。

 

ちなみに、ご両親は2019年に「未来のいしずえ賞」を受賞しています。

画像:KODAMA国際教育財団

未来のいしずえ賞とは、「未来に向かって豊かな社会の礎を築くために、人知れず地道な努力を重ねている方々、誰も目を向けてなかった領域に挑戦している方々の功績を讃える国際賞」です。

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小平奈緒の姉もスケート選手?

小平奈緒選手は3姉妹の末っ子、お姉さんが2人います。

  • 長女:知佳(ちか)さん/5歳年上
  • 次女:真衣(まい)さん/4歳年上

画像:KODAMA国際教育財団(左)知佳(右)真衣

画像:KODAMA国際教育財団(左)知佳(右)真衣

小平奈緒選手が初めてスケート靴を履いたのは3歳のとき、スケートを始めたきっかけは2人のお姉さんであることが分かりました。

お母さんである小平光子さんがこのように話していました。

「5歳と4歳年上のふたりの姉が小学校のスケートクラブに入ったんです。

幼い奈緒を家に置いておくわけにもいかず、一緒にスケート場に連れて行ったら、ひとりで勝手に遊んでいました」

引用:女性自身

 

小平奈緒選手より5歳年上というのが長女の知佳さん、4歳年上というのが次女の真衣さんですね。

知佳さんと真衣さんは、地元の茅野市にある豊平小学校のスケートクラブに入りました。

それが小平奈緒選手がスケートを始めたきっかけです。

最初のうちは、3姉妹でいっしょにスケートをしていたとのことです。

 

しかし、小学校を卒業すると知佳さんと真衣さんはスケートを辞めてしまいました。

お姉さんたちはスケートのことを「寒くて嫌々やっていた」と話しています。

反対に小平奈緒選手はとても楽しそうに滑り、スケートにどんどんのめり込んでいったそうです。

 

知佳さんと真衣さんはそれぞれご結婚され、長野県から離れています。

長女の知佳さんは「和田知佳さん」になり、神奈川県鎌倉市に住んでいます。

次女の真衣さんは、「橋詰真衣さん」になり、愛知県豊川市に住んでいます。

小平奈緒選手は姪っ子からお手紙をもらったり、父の日のプレゼントを相談したり…知佳さんと真衣さんととても仲がよいことが分かりますね。

ちなみに、Twitterでお姉さんについての情報を見つけることができました。

お姉さんのうちの1人は、中学校で数学の教師をやっていたとのことです。

またお姉さんのうちの1人と同じ会社だったという方もいました。

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まとめ

小平奈緒選手の父や母などの家族は?姉もスケート選手?についてみてきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

小平奈緒選手のお父さんは康彦さん、お母さんは光子さんです。

また、小平奈緒選手は3姉妹、長女は知佳さん、次女は真衣さんで2人ともすでに結婚されています。

小平奈緒選手がスケートをはじめたきっかけは、お姉さん2人の影響でした。

しかし、小平奈緒選手だけがスケートを続け、ついには金メダルをとるほどになりました。

衰えを感じさせない小平奈緒選手。

オリンピックの主将はメダルをとれないというジンクスを覆すほどの実力をもっていますので、今後の活躍が楽しみですね。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。