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人物

徳本一善監督の嫁や息子は?現役時代や茶髪サングラスについても!

駿河台大学駅伝部の徳本一善監督は、2022年の箱根駅伝に駿河台大学を初出場にもっていき注目されています。

徳本一善監督は、監督人の中でも見た目に若々しいですが、現役時代は茶髪にサングラスで注目されていました。

そんな徳本一善監督の奥さん(嫁)や息子さんなど家族について気になりませんか?

徳本一善監督に注目してみたいと思います。

 

ここでは

徳本一善監督の嫁や息子などの家族は?

徳本一善監督の現役時代は?

徳本一善監督の茶髪サングラス画像

についてみていきたいと思います。

 

徳本一善監督の嫁や息子などの家族は?

徳本一善監督には奥さん(嫁)の梨江さんと息子、娘がいます。

4人家族ですね。

嫁:徳本梨江

半年ぶりに参加した、≪アクションクッキング≫。_d0047170_23550080.jpg

左:徳本梨江さん

徳本一善監督の奥さん(嫁)の梨江さんは管理栄養士です。

管理栄養士になったのは、徳本一善監督に資格を取ってほしいと言われたためです。

画像:アスレシピより

 

2人が結婚したのは、2002年。

梨江さんは徳本一善監督の選手生活をずっと支えてきました。

徳本一善監督は栄養士が欲しいが、コスト的な関係で栄養士がつけられずにいて、ふと思ったときに「あっ、妻がいる」と思ったようです。

栄養士の白羽の矢?があたった梨江さんは、栄養の大学に通い管理栄養士の資格を取ります。

徳本 梨江さん

画像:女子栄養大学短期大学部より

 

梨江さんは通っていた女子栄養大学短期大学部に次のようなコメントを寄せています。

本学短大部に入学を決めたのは、監督である、夫からのコトバでした。「スポーツ選手にとって、食事は1%。でも、その1%が最後に鍵となる。その1%をいかに大切にできるかどうか。その1%をつくってあげてほしい」というコトバで受験を決意しました。
私は、というと、栄養士の資格を取るだけなら…と、初めは他の大学や専門学校も調べていましたが、夫が『女子栄養大学』にこだわり、「学ぶのであれば、栄養学の最高峰で学ぶべき。学費は、心配しなくていい。これは未来への投資だから」と後押ししてくれたことで、入学できました。

~中略~

女子栄養大学短大部で、学べたことは、宝物です。
卒業してからも、たくさんの先生方がいつも相談にのってくださったり、応援してくださり、箱根駅伝の予選会に足を運んでくださる先生もいました。ほんとうに、ありがとうございます。
夫の言う「1%」を、これからも大切に大切にしていこうと思っています。

引用元:女子栄養大学短期大学部より

旦那さんのお願いから通った大学ですが、たくさんの学びがあり、この学びを選手たちの為に提供しているんですね。

 

息子:徳本陽

徳本一善監督の息子さんは徳本陽(とくもとひなた)くん(2005年生まれ)です。

東京農業大学第二高等学校の一年生です。

徳本一善監督のDNAを受け継いでいるせいか、息子さんも陸上で活躍しています。

東京農業大学第二高等学校での戦績は以下の通りです。

大会 順位 成績
日本体育大学長距離競技会5000m
2021-12-05・28組 2位 00:14:22.20

関東地区高校駅伝
2021-11-20・2区 5位 00:08:22.38

群馬県高校新人陸上競技大会1500m
2021-09-18・7組 1位 00:03:55.10

今後の活躍に注目が集まりそうですね。

また、徳本監督の息子ということで、早くから進路にも注目が集まっているようです。

YouTubeで息子さんの動画もあがっています。

徳本陽くんも父親の徳本一善監督の下、駿河台大学のお兄さんたちと一緒に練習が出来て環境はすごくいいですね!

これから記録が伸びていきそうです。

 

娘さんについては情報がなかったので、陸上はされていないと思われます。

 

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徳本一善監督の現役時代は?

徳本一善監督は現役の法政大学時代に箱根駅伝に4回出場しています。

現役時代を過去から振り返ってみていきましょう。

中学・高校時代

父親が陸上好きのため、親交を深めるために陸上部へ入部。

小学校のマラソン大会で優勝したことも陸上部に入るきっかけとなります。

美鈴が丘中では100m、走り幅跳びが専門でしたが、1年の秋に500mに出場、2年生から本格的に長距離に転向します。

2年生で全国レベルにまで上がり、長距離ランナーとして名前をあげるまでになります。

3年生の全国大会で、1500m2位、3000m3位となります。

 

広島市立沼田高等学校に入学します。

最初は広島県立西条農業高等学校へ入学予定でしたが、指導者の三浦学さんに憧れて沼田高校へ入学しました。

ですが、高校1年の中国大会6位でインターハイに出場した直後に、三浦学さんは交通事故で他界してしまいます。

徳本一善監督は練習に手がつかないほどのショックを受けます。

1年生…疲労骨折し、水泳と自転車の練習に明け暮れる

2年生…インターハイ予選800m準決勝敗退、広島国体1500m4位入賞。またも疲労骨折

3年生…インターハイ800m準決勝敗退、1500m2位、5000m棄権。

福岡国際クロスカントリージュニア8km優勝し、世界クロスカントリー選手権日本代表になる。

 

【中学・高校の駅伝戦績】

994美鈴が丘3年第55回中国中学校駅伝競走大会1区4.7km区間賞14分24秒区間新
1995沼田高校1年第46回広島県高等学校駅伝競走大会3区8.1075km4位25分50秒4位
1995沼田高校1年第37回中国高等学校駅伝競走大会1区10km3位31分13秒9位
1996沼田高校2年第47回広島県高等学校駅伝競走大会1区10km3位30分46分4位
1996沼田高校2年第38回中国高等学校駅伝競走大会1区10km3位30分26秒6位
1997沼田高校2年第60回中国山口駅伝1区15.1km3位46分32秒8位
1997沼田高校2年第2回全国都道府県対抗男子駅伝1区5.0km7位14分29秒6位
1997沼田高校3年第1回広島県高等学校クロカン駅伝競走大会1区6.0km区間賞17分49秒2位
1997沼田高校3年第48回広島県高等学校駅伝競走大会1区10km区間賞30分32秒3位
1997沼田高校3年第39回中国高等学校駅伝競走大会1区10km区間賞30分12秒5位
1998沼田高校3年第3回全国都道府県対抗男子駅伝1区5.0km2位14分20秒2位

Wikipediaより

3年生では区間賞をとり、徐々に力をつけてきていることがわかりますね!

法政大学時代

箱根駅伝及び、その他の法政大学での戦績は以下の通りです。

【大学での駅伝戦績】

1999法政大学1年第75回東京箱根間往復大学駅伝競走1区21.3km10位1時間04分42秒14位
1999法政大学2年第31回全日本大学駅伝対校選手権大会1区14.6km7位44分14秒12位
2000法政大学2年第76回東京箱根間往復大学駅伝競走1区21.3km区間賞1時間02分39秒10位
2000法政大学3年第11回出雲全日本大学選抜駅伝競走1区7.2km区間賞20分20秒16位
2000法政大学3年第32回全日本大学駅伝対校選手権大会2区13.2km区間賞38分36秒8位
2001法政大学3年第77回東京箱根間往復大学駅伝競走2区23.0km2位1時間08分59秒4位
2001法政大学4年第12回出雲全日本大学選抜駅伝競走3区8.5km区間賞24分57秒7位
2001法政大学4年第33回全日本大学駅伝対校選手権大会2区13.2km2位38分14秒5位
2002法政大学4年第78回東京箱根間往復大学駅伝競走2区23.0kmDNFDNFDNF

Wikipediaより

箱根駅伝では2年生の時に1区で区間賞をとり、翌年からは花の2区を走りました。

最後の箱根駅伝では右ふくらはぎの肉離れが起きてしまい、無念の途中棄権となりタスキを繋げず悔しい思い出となりました。

当時の記憶がある方も多いんじゃないでしょうか?

駅伝はチームでの競技なので、そのチームのメンバーにタスキを繋ぐことが出来なかったのは辛かったと思いますね。

社会人時代

社会人では、日清食品に入ります。

2003年、2004年の日本選手権男子5000mを連覇。

その後、海外レースに参加するもわずかに記録が及ばず、世界への挑戦は断念します。

スランプに陥っていましたが、ひざを手術して2006年の初めに復活します。

2006年 世界クロスカントリー選手権福岡大会男子シニア12キロ代表

2007年 東京マラソンで初のマラソンに参加 5位入賞

2012年12月 防府読売マラソン 4位入賞

【社会人での駅伝戦績】

2002日清食品1年第44回東日本実業団対抗駅伝競争大会3区12.6km2位36分41秒優勝
2003日清食品1年第47回全日本実業団対抗駅伝競争大会6区11.8km区間賞33分25秒区間新2位
2003日清食品1年第54回朝日駅伝6区9.9km2位30分28秒2位
2003日清食品2年第45回東日本実業団対抗駅伝競走大会3区12.6km4位37分28秒2位
2004日清食品2年第48回全日本実業団対抗駅伝競争大会5区15.9km2位47分21秒3位
2004日清食品2年第55回朝日駅伝7区16.7km2位47分21秒優勝
2004日清食品2年第9回全国都道府県対抗男子駅伝7区13.0km5位38分07秒6位
2006日清食品4年第50回全日本実業団対抗駅伝競走大会4区10.5km6位29分57秒10位
2006日清食品4年第57回朝日駅伝2区9.9km5位30分23秒4位
2006日清食品5年第47回東日本実業団対抗駅伝競走大会7区10.0km区間賞29分30秒優勝
2007日清食品5年第51回全日本実業団対抗駅伝競争大会2区22.0km6位1時間03分59秒3位
2007日清食品6年第48回東日本実業団対抗駅伝競争大会2区7.1km3位20分29秒優勝
2008日清食品6年第52回全日本実業団対抗駅伝競争大会2区22.0km19位1時間04分46秒6位
2009日清食品7年第53回全日本実業団対抗駅伝競争大会3区13.7km14位39分21秒2位

 

そして2011年に駿河台大学で選手兼コーチとなり、2012年からは駅伝部の監督に就任しています。

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徳本一善監督の茶髪サングラス画像!

徳本一善監督と言えば、箱根駅伝で金髪とサングラスというスタイルが「爆走王」という名とともに伝説を呼びました。

大学を卒業する前、色んな企業からオファーを受けますが、「自分らしく競技できるのが一番いいんだ。お前は金髪が似合う。それでいいじゃないか。」という日清食品の白水昭興監督の言葉に惹かれて日清食品入りを決めます。

 

これが20年前(2021年時点)とは思えないような、その当時は斬新でしたが、今は違和感がないかもしれないですね。

ただ、学生でこの格好はなかなかなものだと思います。

今はすっかり落ち着かれましたが、学生にしてはおしゃれですよね。

アパレルブランドも立ち上げていたので、そんなセンスもあるんですね。

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まとめ

駿河台大学駅伝部の徳本一善監督に注目して家族や現役時時代についてみてきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

独特のスタイルを持つ徳本一善監督ですが、箱根駅伝に出場させるチームにするまで10年という歳月がかかりました。

これまで家族の支えも大きかったと思います。

奥さんの梨江さんの管理栄養士として、徳本監督や選手たちを支えてきています。

ますます駿河台大学駅伝部が活躍することを祈っています。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。